ぴえん越えてぱおん、ってやつ

前回の投稿から少し日が空いてしまった。

 

最近はまあ、外に出られている。

本を読んだり、AmazonprimeやHuluで映画を見たり。なんだかんだ外にも出て家の中でも充実して休めてきている気がする。

 

そんな中、昨日久しぶりに同期の一人に会った。外出はするもののあまり会うことはないようにしていたのだが、たまたま顔を合わせてしまった。

 

「合わせてしまった」という語尾を使ったが、別にそう特別嫌なわけではなかった。ただ少し、めんどくさいな、とか、何か話した方がいいのかな、とか、そんなことを思っていた。

 

その同期は割と、結構問題児的な立ち位置に居て、遅刻、無断欠席は常にあるし、先輩や上の人にも噛み付くような、そんな子だった。

でもその子は友達の相談にはとても親身になって聞き、友達が悩んでいることに上が絡んでいるとその子自身が声を上げる、という様な、私には到底できないようなことをよくしている子だ。

 

結局帰る頃まで挨拶しか交わさなかったのだが、私が帰る時に「一緒に帰ろう」と声をかけられたため、最寄りの駅まで歩いて並んで帰ることになった。

 

駅までの道のりでは出会った当初の第一印象の話や、後輩の話、最近のスケジュールの話など色々な話をした。

 

そんな話に一段落が着き、少し沈黙が流れた頃、私はその静かさに耐えきれず、ここ数日どう過ごしていたのかを話した。自分の今の状況を話すつもりは一切なかったが、口が勝手に動いてしまった。話しながら「言うんじゃなかった」と少し後悔していた。

彼女は私の話に「うん、うん」と相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。

「いいじゃん、最高の休み方してるよ。たくさん寝てたくさん食べて好きなことしな。めっちゃ休んでも結構なんとかなるよ。めちゃくちゃ頑張って限界きたから辞めたいって言ったのに、まだ頑張れって言われたら『え?』ってなるよね。なんでわかってもらえんのやろね。」

 

話しながらしていた後悔は話終わる頃には無くなっていた。多分、人に話て少しスッキリしたのだと思う。

だが彼女の「なんでわかってもらえんのやろね」がずっと残っていた。

 

私、彼女も含めると私たちは「わかる人」に囲まれているのだ。だから親と言えど「わからない人」であればきっと何を言って説得しようとしてもわかってもらえない。私たちはそんな領域を学んでいるのだ。

今世間では「理解がありますよ」という風潮が流れている。だがそんな風潮いらないのだ。そんなもの流れている時点で奇異な目で見ている人は多いのだろう。

 

私はこの学問を学んでどうしたいのか全然わからない。世間は「あなたたちのことはわかっていますよ」という顔で全然わかっていないし、それを自覚していない。そんなのこっちがどうしたって、どう研究してどう対策を考えたって、意味がなくないか?

現にこの学問をエンタメとして楽しもうとしている人、楽しんでいる人は多いだろう。売られている本やSNSの影響も強いだろうが、この学問はエンタメやフィクションではないのだ。

 

「何をどうしたらいいのかわからない」を考えすぎてここに興味が無くなってきたのも事実だ。だがまだこれからどうしても触れていなければならない。

うーん。どうしたものか。

何か手軽な逃げ道はないかと考えながら、残りの休暇期間を過ごそうと思う。