スイカはそのままより塩掛ける派

 

社会人になって4ヶ月が経とうとしている。

もう8月に入るなあ、なんもしてないのに2023年も下半期かあ、と1人でぶつぶつ言いながら今年初スイカに塩を掛けて口に運ぶ。

 

新しい環境になって、新しい人と出会って、新しいことを覚える。

慣れることにいっぱいいっぱいで、心に余裕が無かった。今も無い。

 

今居る環境は、多分それほど悪くない。

周りからの私への評価も悪くないと思う。

それとなく仲良くできているから、知りたくない深いところも少し見えてきたりもする。

 

私から見えているその人はほんの、ほんの一部分で、その人の全てではないことはわかっている。

でもその少し見えた違和感が大きな印象になって、「この人はこういう人」と(ネガティブな意味の)張り紙を貼ってしまっている。

良いところもある、わかってる、だけど勝手に貼り付けた紙が「でも結局こんな人なんだよ」と見せてくる。

 

どんな人に対しても張り紙を貼るようになってしまって、「この人好き!」って思える人を自分で切り捨てていく。

自分の嫌なところだなと思う反面、私自身がこれ以上傷つかないようにしている対策だから、自衛だから、これは悪いことじゃない、私のことは私が一番大事にしないと誰も守ってくれないんだから、と思っている。

 

これからも私は私が守りたいし、幸せにしたい。まだまだ人生を楽しいと思えていない時の方が多いから、私が楽しませたい。

そしていつか「この人の色んな面を見たい」と思える人に出逢って、心の底から「好き」と思いたい、愛したいし愛されたい。

ただ寂しさを埋めるためではなくて、幸せにしたいとか、守りたいという気持ちで一緒に居たい。これは傲慢だろうか。

 

もう25歳になるという謎の焦りは正直ある。資格がとか、貯金がとか、パートナーがとか、スイカに塩掛けるとか、目玉焼きには醤油だとか。とはいえこれらも私の一部分でしかない。

 

何にも囚われず、私は私を、私として幸せにできたらなと思う。